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2017/12/15

松本 好雄オーナー Interview

「僕は、社会における馬主のステータスをもっと上げなければと思っているんです。」

インタビューの6回目は、「メイショウ」の冠名でおなじみの松本好雄オーナーをお迎えしました。いち馬主としてにとどまらず、日本馬主協会連合会会長など要職を歴任される立場からのお話や、馬産地への貢献などにより叙勲を受けられた際のエピソードなど、さまざまなお話をお訊きしました。

―馬主になられたきっかけを、あらためてお聞かせ下さい。

松本 好雄オーナー(以下、松本とする):僕はもともと競馬好き、馬券好きでしたから。初めて買った馬券はウイルデイールの皐月賞(1959年)だったかな。好きな騎手は高橋成忠さん。大ファンでした。馬主になったのは自然な話で、自分の馬を持って、いい場所で競馬を見たいという気持ちからです。

―初めての馬のことは覚えていらっしゃいますか?

松本:もちろんです、全部の馬のことを覚えていますよ。初めて持ったのはフアイアスという馬で、小倉でデビューしました。木曜日に小倉で調教をするというので、まずは明石から日帰りでそれを見に行って。そして出走する土曜日にまた朝一番で行きました。飯田明弘さんが乗って、新馬戦に出走して7着だったかな。それで骨折して、しばらく休むことになってしまいました。

―それはずいぶん気合が入っていましたね。

松本:すごかったですよ。でも最初はみんなそうだと思います。自分の馬を持って、ついにそれが走るわけですから。子供の運動会みたいなものです。今から思えばこちらはまだ30代半ばくらいで、調教師さんなんて、まるで自分の子供を預けている学校の先生みたいに感じていました。

―厩舎はどちらだったんですか?

松本:高橋直厩舎です。僕の最初の頃の馬はみんなそうです。当時は競馬の日には厩舎へ行って、高橋直調教師や奥さん、所属の川端義雄ジョッキーなんかとお茶を飲みながら、いろんな話をしていたものです。

―競馬場の厩舎地区ですよね。最近は競馬の日にそちらへ行かれる馬主さんは少ないとか。

松本:今は厩舎地区が遠くなりましたからね。あと最近の馬主さんたちを見ていて思うのは、みなさん、あまり馬券を買われなくなりました。スタンドの馬主席にいても、自分の馬のレースが終わるとすぐに帰ってしまう人も多くなって、そういうところも昔とは違うなと感じます。僕なんかは、自分の馬が出るレース以外でも競馬を楽しまれたらいいのに、と思うんですがね。

―ジョッキーといえば、松本オーナーの馬は乗り替わりが少ない印象があります。

松本:騎手は、基本的には調教師さんにお任せしています。その馬のことをよくわかっている方に選んでいただくのがいちばんだと思いますから。乗り替わりをあまりしないのも、乗ったことのある騎手がその馬の癖も知っているだろうと思うからです。ただ、メイショウサムソンの凱旋門賞の時だけは、僕からお願いして替わっていただきました。

メイショウサムソン

メイショウサムソン

―メイショウサムソンは、ずっと石橋守騎手が乗っていて、その後は武豊騎手が乗りました。

松本:4歳の宝塚記念の後、秋に凱旋門賞に行こうと決めた時のことです。結局、馬インフルエンザがあってその年は遠征しなかったんですがね。石橋守と武豊の他に、福永祐一や幸英明、四位洋文などのジョッキーたちに一堂に集まってもらって、守ちゃん、悪いんだけど凱旋門賞は豊が経験しているから、豊でいきたいんだ、と伝えたんです。

―ずいぶん大勢で集まったんですね。

松本:そうです。すっぽん屋に、全部で関係者10人くらいに集まってもらいました。そうしたら守も、自分からも頼みたいくらいです、そうしてくださいと言ってくれたんです。それで豊が、ではやらせていただきます、と。あの乗り替わりに際しては、そういうことをしました。結局、凱旋門賞はその翌年に、豊で挑戦することになるんですが。

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